文化講座

第14回「自然はおもしろい」清末忠人 氏

2013-11-06

⾃然に親しみ、⾃然の営みをじっくり⾒つめて⼈は何を為すのか

[自然研究家]清末忠人 氏

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 平成25年9月20日午後6時30分からサルーテで第14回『楽しく真剣!「サルーテ文化講座」』が開催されました。司会の角秋勝治氏の講師紹介を経て自然研究家・清末忠人氏の講演がスタート。清末さんは「欧米と日本人の自然認識」、「文学と生物」など解りやすく熱弁。ドウダンツツジなどを使用した実験を加え満員の聴衆は興味津々、講座は終始和やかな雰囲気に溢れていました。参加人員は114人。

  日本人は自然に対し、畏敬の念を持っており、全ての自然の中に神が宿っていると考えています。例えば、アイヌの熊狩り、狩りの前に山に向かってお祈りをし、熊を捕えたら祭りをして熊の毛・血を自然に返す。自然から命を貰っている。命を貰ったら恩返しをする生活を営んできました。西洋人は、自然は神が人間に与えたもので、自分達が利用しやすいようにすれば良いとの考えであります。昨今では西洋でも自然を共有する考えが広がり、自然保護団体の活動が活発になっています。
 神社には必ず、しめ縄が飾ってありますが、しめ縄は天照大神が天岩戸から出られた際、二度と天岩戸に入られないよう大王命が注連縄(しめなわ)で戸を塞いだのが起源とされていますが、神に祈るのが注連縄ではないか。しめ縄の縄は雲であり雨である。幣(しで)は稲妻を表しており、雨が降って、晴れて豊かな水によって秋には瑞穂が実ると考えると、日本人の自然界に対する謙虚な気持ちが表されています。

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講師の清末忠人 氏

「きりぎりすと鳴くや霜夜のさむしろに衣片敷き一人かも寝む」新古今和歌集・藤原良経の和歌ですが、きりぎりすとこおろぎが明治以降入れ替わっています。きりぎりすは、夜は鳴かない。葉っぱの上に止まって鳴くのですが、霜夜のさむしろに鳴くと歌っていますが、鳴くのは夏です。
松尾芭蕉の歌に「むざんやな甲の下のきりぎりす」があります。きりぎりすが兜の中で鳴いている情景ですが、きりぎりすは暗い所では鳴きません。現代と昔が入れ替わっています。
元禄2年旧暦5月27日、山形県(山形市)の立石寺で読んだ「閑さや岩にしみ入蝉の声」の蝉で斎藤茂吉と小宮豊隆のバトルがありました。
斎藤茂吉は「アブラゼミ」と断定したのに対し、小宮豊隆は元禄2年5月末は、太陽暦に直すと7月上旬となり、「アブラゼミ」はまだ鳴いていないことを理由に「ニイニイゼミ」であると主張し、大きく対立しました。
斎藤茂吉は1932年実地調査等の結果誤りを求め、芭蕉が読んだ蝉は「ニイニイゼミ」てあったと結論付けました。(蝉の寿命は8年)

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「昔の⼈は達筆を「⽔茎の跡うるわしく」と褒めたが、⽔茎とはコウボウムギの根に残る繊維で作った筆のこと」

bunka_14th_05「土用の丑の日」というのは、江戸時代に平賀源内が作ったキャッチ・コピーといわれています。
太田蜀山人も、普段から鰻を好んで食べ、神田川という店の依頼で「鰻は体にいい」と看板に書いたといわれています。
文政7年に発刊された「江戸買物案内」の中に、神田和泉町の春木屋善兵衛が藤堂家から、大量の鰻の蒲焼の注文があり、あまりに量が多くて一日では焼ききれず、子の日と丑の日と、寅の日の三日間にわたり蒲焼を作り土甕に入れて保存しておいたところ、丑の日に作った蒲焼が一番美味しかったことから「丑の日」になったと記載されています。
 「鮎」は夏の季語です。「鮎」は「アユ」と呼びますが、「アユ」と言われるようになった理由には、アユの生態に由来しています。鮎は秋から冬になる前に川下に下り、産卵して、一生を終えますが、川を下っていく様子を古語で「アユル」と言っていました。それにちなんで、「アユ」と言われるようになったといわれます。アユは「鮎」という漢字を書きますがどうして?「鮎」は、中国では「ナマズ」を意味しています。中国ではアユに相当する字はなく「香魚(シャンユイ)」と言われています。中国で「ナマズ」の意味で使われる「鮎」がどうして、日本では「アユ」になったのか?いくつか説がありますが、応神天皇の母である神功皇后が身重の時に、筑紫(つくし)の末羅(まつら=佐賀県唐津市付近)で、三韓征伐の勝敗を川釣りで「川の魚よかかれ!」と占うと釣れた魚がアユだったという話しに基づいて、魚偏に占うで「鮎」と書くようになったといわれています。ちなみに、京都の祇園祭の山鉾「占出山(うらでやま)」はこの話に由来します。

 江戸時代の方言辞典「俚言集覧(りげんしゅうらん)」に、ドウダンツツジの異称として「どうだいつつじ」の名があります。「大言海辞典」によれば、「どうだい」は「とうだい」、すなわち灯台のことで、「とうだいつつじ」がなまって「ドウダンツツジ」になったもので、これが、定説化しているわけです。
「灯台」を名に付けるのは、枝の分枝の形が、「結び灯台」に似るのに由来します。昔の灯明台で、三本の支柱を組み合わせ、真ん中で結び、上下を開いて安定させ、頭部に油火の皿を載せる物。
発音のトウダイが転じて「ドウダン」になったというわけです。
 自然に親しみ自然と共に生きるカビ、河豚の毒だって使い用によれば人を助け人を生かします。
自然の営みをじっくりと見つめて人は何を為すべきかを考える時が来ているのではないでしょうか。

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「ドウダンは枝分かれしている様⼦が、灯台の脚部に似通って『トウダイ』に転じた」


■清末忠⼈ ⽒のプロフィール

昭和6年鳥取市生まれ、鳥取市元町在住。鳥取大学学芸学部卒業、小学校教諭。東京教育大学理学部に内地留学、植物分類学を専攻。鳥取県立博物館学芸員、学芸係長、鳥取市立富桑小学校校長、鳥取県教育研修センター所長、鳥取市立美保小学校校長を歴任し、退職。

鳥取大学鳥取女子短期大学の非常勤講師を勤め現在鳥取生物友の会会長。
鳥取自然に親しむ会会長、鳥取県博物館協会理事。NHK鳥取文化センター講師。黒住教鳥取大協会所所長。荒木神社宮司。

著書に「ふるさとの生物」「子どもと雀」「ヒマワリの花はまわるの?」「皐取砂丘の生きものたち」「自然はともだち」「ネムノキは眠るの!?」「さんいん自然歳時記」(正・続・Ⅲ)。「わたしの歩み-清未忠人研究集録」「自然と教育を語る」、共著・分担執筆に「郷土のすがた」「智頭町の自然」「久松山の史跡と自然」「ふるさとの美と心」「鳥取・岩美・八頭ふるさと大百科」など。

昭和60年、わかとリ国体で昭和天皇に主に山陰の貝類について進講。平成3年鳥取県出版文化賞受賞。平成3年、理科教育・社会教育で鳥取県教育委員会より教育表彰受賞。
平成9年、鳥取市文化賞受賞。平成11年、鳥取県文化賞受賞。平成11年、全国育樹祭りで皇太子ご夫妻に里山の自然について進講。平成16年瑞宝双光章受章

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