文化講座

第19回「作曲の種子」 新倉 健 氏

2014-09-22

色々な人との出会いがインスピレーションの源

[作曲家]新倉 健 氏

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 平成26年9月19日午後6時30分からサルーテで第19回『楽しく真剣!「サルーテ文化講座」』が開催されました。司会の角秋勝治氏の講師紹介を経て、作曲家・新倉健氏の講演がスタート。出足は、ザ・ワイルド・ワンズの「想い出の渚」から。作曲家を目指した馴れ初め等、様々の曲目と映像を織り交ぜながら、多くの聴講者のまえで、熱く・にこやかにお話をされました。参加者は76名。

 クラシック音楽の作曲家である新倉先生の講演がザ・ワイルドワンズの「想い出の渚」で幕開けしたのに会場が仰天しましたが、神奈川県茅ケ崎で生まれたとの事。サザンオールスターズよりも加山雄三が好き。中学・高校時代は吹奏楽部でトランペットを吹き、特によく吹いていたのが、西田佐知子の「アカシアの雨が止む時」などユーモラスに自己紹介されました。
 小学校時代はピアノ、中学は吹奏楽部とバスケットを両立する少年であったとも。作曲との出会いは、近所に引っ越して来られた作曲家の福島雄次郎に習い始め、師の人間性と芸術家としての生きかたに感銘を受け、作曲を始め夢中となったとの事。
 昭和45年から51年まで、武蔵野音楽大学及び大学院にて学ぶ。作曲を金光威和雄氏に師事。大学院2年の時に、鈴木聡、喜納政一郎等と作曲グループ「樹(Ju)」を結成し作品発表の場を得る。
  51年より神奈川県立山北高等学校に音楽教諭として勤務しながら、作曲活動を継続、特にバルトーク「弦楽四重奏第4番第5楽章」が「音楽の友」誌において上野晃、石田一志等から高い評価を受けた。

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講師の新倉 健 氏

 56年鳥取大学教育学部助手として赴任。59年、ノーモア・ヒロシマ・コンサート実行委員会から委嘱を受けて作曲した「広島が言わせる言葉」がニューヨークタイムズで高く評価され、「井上将興チェンバーアンサンブル」により米国各地で演奏され大きな反響を呼んだ。
 平成3年には、地元の池澤正子ダンスアカデミーとバレエ「流し雛幻想」。指揮を担当している鳥取女声合唱団とのミュージカルコメディー「さじ谷ばなし:蟹のふんどし」等を作曲し活動を展開。
 昭和56年から昭和63年まで、宮沢賢治の名作「銀河鉄道の夜」に触発され、器楽作品のシリーズ「星めぐりのためのエスキース第1番~第6番」及び「ケンタウル祭の夜(オーケストラ作品)」を発表、さらに平成14年には宮沢賢治の原作によるオペラ「ポラーノの広場」を発表し高い評価を得た。
 器楽シリーズの作曲をライフワークとして取組む中から、オペラへと仕事の幅を広げていった。平成14年には宮沢賢治の原作による「ポラーノの広場」は東日本大震災以前に創作した。
 今年の3月に塩竃で「ポラーノの広場」が演奏会形式で上演。演奏会のフィナーレの合唱の辺から、指揮者・合唱団・歌手も涙を流しながら演奏しているのを見て、大変感動的な経験をした。
 色々な人との出会いからインスピレーションを頂き、様々なジャンルに曲を創り続けて40年、これからも健康な限り出会いを大切に今までと変わらず曲創りをしていきたいと結ばれました。

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「演題の『作曲の種子』の種子はタネですから、入れ換えるとネタ。今日は私の作曲のネタばらしをします」

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「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番、何と素晴らしい世界なんだ!中学時代、一番たくさん聞いた曲」

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「福島先生には何よりも『作曲するよろこび』を教えて頂いた」

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「原爆資料館に行って、悲惨さに圧倒され作曲を諦めかけた、その時友人が詩集『夏の花』を貸してくれた」


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交響曲「星めぐり」オペラ「銀河鉄道の夜」の創作は無理な予感。元気で作曲が続けられるよう百薬の長を

■新倉 健 氏のプロフィール

  • 1951年神奈川県生まれ。
    武蔵野音楽大学で、作曲を福島雄次郎・金光威和男、指揮を長谷川朝雄・久保田洋の各氏に学ぶ。
  • 1981年鳥取大学に赴任。教育学部などを経て、現在は地域学部附属芸術文化センター教授。鳥取女声合唱団など指揮。市文化賞受賞。
  • 作品に『マドリガル』『歌の祭り』。『広島が言わせる言葉』はNYタイムズで評価され、ヨーロッパ各地で演奏出版放送される。
  • 鳥取ではバレエ『流し雛幻想』『忍冬』、ミュージカル『茜飛天』、オペラ『ポラーノの広場』、男声合唱組曲『男の唄』など。

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