文化講座

第4回「楽しい詩入門」 井上嘉明 氏

2011-09-16

「自由な発想で新しい関係を!」 詩人・井上嘉明 氏(鳥取県現代詩人協会会長)

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第4回「サルーテ文化講座」は9月16日(金)、詩人の井上嘉明氏を招き、『楽しい詩入門』と題して開かれ、朗読「ひまわりの会」による詩の朗誦も行われました。
「詩」とは縁遠くなりがちな私たちに、井上講師はその存在の大切さを語りかけ、「既成概念に捉われず、自由な発想で新しい関係を」と訴え、約70人の市民に示唆を与えました。

井上講師は冒頭「同じ山陰でも鳥取には、島根にないものがある。それは自分たちで出来ることは自分たちでしようと、児嶋幸吉が創設した市民による市民のための鳥取ガスである。その文化講座に招かれてうれしく思う」と挨拶されました。

韓国やイスラム文化圏では、詩人の存在が高い。日本のある研究者がイスラムでの買物で財布を忘れ、掛けにしてくれと頼むと「代わりに詩を書いてくれ」と言われた逸話がある。詩への感度が高く、彼らはお祝いや土産物代わりに詩をもっていく。
最後は人間「言葉」である。日本では残念だが、政治家に見られる通り詩は遠い存在にある。
しかし、私の話でも聴いてやろうと来られた皆さんは、すでに詩に近付いておられる。感動する心があれば、誰でも詩人。詩は万人のためのものだ。

詩は青春の文学と言われるが、結局は「死生観」に関わる限り、私は詩とは「老人の文学」であると思う。

権力や大衆に迎合したために、戦争賛美の詩を書いた苦い歴史がある。カナリアは危険に敏感であるために、「詩は炭鉱のカナリアである」という言葉があるが、私はその意味でカナリアになりたいと思い、毎日いっぱい「鳴いて」いる。

感動は放っておくと逃げる。書き止めないと逃げてしまう。
だから私は常にメモをして、書き止めている。「生」と「死」のために、その「存在」のために詩を書くのです。

哲学者のサルトルは「実存は本質に先立つ」と言ったが、「現実存在」を大切にしたい。そこで重要になるのが「モノとの関係」である。

古い歌謡曲は酒・女・涙・雨・別れ―と内容が決まっている。
「母の日」の子どもの作文も、お母さんは優しく・美味しい食事を作ってくれ・有難う―というパターンが多い。たまにはお母さんの足の裏を見て、新しい姿を発見するなど、既成概念を破るものがあってもよいではないか。

詩人のポール・ヴァレリーは「散文は歩行―目的地のある日常行為」、対して「詩は舞踏―目的のない繰り返しの動作」と言った。
詩は単なる空想ではなく、社会や生活を見詰めた「比喩」が重要になる。比喩には直喩(-のようだ)と、隠喩(-である)がある。
どちらがよいかは場合によるが、そこには「異質」なものが存在しなければ、新しい発見はなく、やはり自由な発想が求められる。

講座では「ひまわりの会」の4人により、『コアラの枝』『靴について』『木へ挨拶』『市場の一隅にて』の詩4編も朗読され、井上講師の自作解説も行われました。

次回は11月18日(金)、画家・中尾廣太郎氏による『人物画の魅力』が開かれます。


■井上嘉明氏のプロフィール
◎1935年(昭和10)鳥取市生まれ。15歳で文学に目覚め「日本文学史年表」を制作。早くから本格的な文学活動を始め、同人誌『鳥取文学』『氷河期』などに詩を発表。66年に同人誌『流氷群』を創刊し、主宰して現在に至る。

◎詩誌『菱』『日本未来派』に参加。日本現代詩人会、日本詩人クラブ会員。鳥取県現代詩人協会会長。詩集は『半透明な島』『星座の逃走』『漏刻』『おりかえしの狩猟』『後方の椅子』『地軸にむかって』『封じ込めの水』『井上嘉明詩集』など10冊。ほかに『山陰の金融史物語』がある。鳥取市文化賞受賞。

◎思索は徹底した観察と行為、そして丹念な「落書き帳といった程度」のノートから。「しまいには、ノートに向わねば言葉が出てこないといった奇妙なことになる」ほど、作品の背景には膨大なメモが存在する。(エッセー『創造とは何か』より、以下同)

◎言葉は平明に、内容は斬新で深く、時にはユーモアを携えて。さり気ない入口から、思いがけない地平を拓く。「詩を書く者の心の中で、言葉をいったんストップさせ、再創造されたイメージの世界、創造力によって読者の心を喚起する詩がほしい」と述べる。言葉を十分寝かせて、発酵させる、真摯な姿勢がここにある。(角秋)

 

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